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東京地方裁判所 昭和39年(ワ)10401号 判決 1966年12月20日

原告

鈴木節子

右代理人

東城守一

外一名

被告

住友セメント株式会社

右代表者

安済良一

右代理人

橋本武人

外三名

主文

1  原告が被告に対し雇傭契約上の権利を有することを確認する。

2  被告は原告に対し七三二、〇〇〇円及び昭和四一年一二月以降毎月二七日限り各二二、八七五円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項は仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

原告は主文同旨の判決及び仮執行宣言を求め、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、原告の主張

一、被告(旧商号・磐城セメント株式会社)は、セメント等の製造販売を業とする。

原告は、被告により、昭和三五年七月一五日から同年八月末日まで臨時従業員として、引続き同年九月一日以降職員(雇員本採用)として期間を定めず雇傭され、四倉工場運転課電気係に勤務してきた。

なお、原告は、被告の従業員で組織する住友セメント労働組合(旧称・磐城セメント労働組合、以下「組合」という。)の組合員である。

二、被告における賃金は、毎月二〇日締切、二七日支払の定めとなつており、原告の賃金月額は、二二、八七五円である。

三、被告は、原告に対し昭和三九年三月一七日解雇の意思表示をなし、以降従業員として取扱わず、同月二一日分以降の賃金を支払わない。

四、被告主張の解雇理由に対する反論

(一)  結婚退職制という慣行ないし合意による解雇の意思表示は、左の理由により効力を生じない。

1 合理的理由の欠除

(1) 女子労働者が結婚することは、接客業のうち極めて特殊の事例等を除いて、労働契約の本旨に従つた労務の提供に何の支障も与えない。本件で被告の主張するような補助的事務は、この例外に該当しないことは勿論である。

(2) 合理性の判断に当つては、企業の側の事情のみならず、その社会的影響も考慮されなければならない。すなわち、女子労働者が結婚により退職を余儀なくされる慣行ないし合意を是認すれば、退職した労働者は生活の資を求めて再就職の機会を求めることになる。しかし、社会保障及び自由な労働移動の条件がなく年功賃金制が普遍的なわが国の現状では、再就職者の賃金は著しく低下せざるを得ない。したがつて、このような慣行ないし合意が普遍化すれば、女子の賃金水準の引下げを来たし、内縁関係を助長するものである。いずれにしても、ことは直ちに女子労働者の生存権の問題につながることを看過してはならない。

(3) 昭和三三年四月前後を問わず、被告において高校卒の女子職員の賃金は同年令の高校男子職員のそれの約七〇%であつて、男女同一賃金制はとられていないから、男女同一賃金制を前提として結婚退職制を合理化することはできない。

(4) 仮に、被告における女子職員の職務、責任が被告主張のように補助的なものであるとしても、かような慣行ないし合意は、「女子労働者は結婚すれば労働能率が低下する。」等の前近代的偏見に基いて被告がつくりあげたものに過ぎず、従つてこれは被告からする右のような女子労働者の退職・解雇の根拠となり得ない。

(5) 結局、かような慣行ないし合意にもとずく解雇の意思表示は、合理的根拠を欠き、無効である。

2 就業規則違反

被告主張の「結婚したら退職する。」旨の合意は、雇傭関係継続の条件、すなわち、労働基準法(以下「労基法」という。)にいう「退職に関する事項」であつて労働条件に該当する。しかしながら、被告の就業規則において、従業員の停年は満五五才(六四条)と定められており、採用拒否事由(五六条)、解雇の事由(六〇条)中に労働者の結婚は含まれず、むしろ、既婚女子労働者の存在を前提とする規定すらある。しかも、就業規則全体の構成からみて、六〇条の解雇事由は制限列挙と解すべきである。したがつて、右条件は、就業規則で定める基準に達しない労働条件というべきであつて、原被告間の労働契約は、その部分については無効である。それ故、これに基き解雇の意思表示をなしても効力を生じない。

3 公序良俗違反

憲法は、すべての国民に「基本的人権の享有」(一一条)、「生命、自由及び幸福追求の権利」(一三条)、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(二五条)を保障し、性別による差別待遇を禁じ(一四条)、これを承けて労基法は、「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。」(一条一項)と定め、同法三条(均等待遇)、四条(男女同一賃金)、一九条(産前産後の解雇制限)、六五条(産前産後の休業等)、六六条(育児時間)は、いずれも右の保障を具体的に約束したものと解すべきである。これらの規定により、男女を問わず労働者に対し結婚の自由及びこれの実質的な裏付けとして結婚後も引続き労働に従事できること並びに人たるに値する生活を営むための労働条件が保障されることはいうまでもない。結婚の自由は、公の秩序に関するものである。さらに、結婚は、善良の風俗として社会から是認されるべきである。それ故使用者もまた未婚労働者の雇入れに当りそれが結婚することを当然予想すべきであつて、労働契約の締結、存続に際し結婚したことの故に不利益な取扱をすることは許されない。ましてや、女子労働者のみにかかる取扱をすることは性別による差別待遇である。

以上述べたとおり、女子労働者の結婚を退職・解雇の事由とする慣行ないし合意、換言すれば、結婚しないことを雇傭継続の条件とする慣行ないし合意、ひいては、結婚したこと自体を理由とする解雇は、いずれも前示結婚の自由の制限並びに性別による差別待遇に帰着し無効である。

(二)  被告のその他の主張について

1 労働協約または就業規則と同視すべき結婚退職制の慣行あるいはこれに対する組合の黙示の承認の事実は存しない。すなわち、被告は、右制度を組合に通告し又は従業員一般に公表しないで、ことさら秘かに実施していた。そのため、組合は、昭和三八年に入つて女子組合員が原告と同様の念書を被告に差入れていることを初めて知り、同年五月末日、六月一日の団体交渉以来被告に対し念書撤廃等を申込れている。また、同年一〇月頃右念書を差入れた女子組合員全員から被告にあて念書破棄通告をなした。組合本部移転に伴い、組合の女子書記二名が組合を退職して同年末から昭和三九年初頃被告に採用された際、被告に右同様の念書を差入れたが、組合は当時これに気付かなかつたから、これを黙認したわけではない。右両名は、その後念書破棄通告を行なつた。念書を提出した女子労働者の大部分が念書のとおり自発的に退職した事実は、なんら右慣行又は黙示の承認を示すものではない。すなわち、彼らは結婚退職制を不当違法と信じているものの、この信念に従つて会社に抵抗することが如何に困難かを知り退職したに過ぎないからである。

2 被告主張の各賃金に関する協定締結に先立ち、組合側から男女の賃金格差を容認する提案をした事実はない。

3 原告が被告主張のとおり念書を差入れて雇われ、結婚したことは認める。

五、したがつて、原告は被告に対しなお雇傭契約上の権利を有するにもかかわらず、被告はこれを争うから、原告は右権利の確認及び昭和三九年三月二一日以降の毎月二二、八七五円宛の賃金の支払を求める。

第三、被告の主張

一、原告主張一ないし三の事実は認める。

二、本件解雇の効力

(一)  結婚退職制の採用とその理由

1 被告は、昭和三三年四月、爾後採用する女子職員(従業員を職員と工員に区分する。)のみにつき次の制度を採用した。すなわち、女子職員を、専らタイプライターによる印書、電話交換業務のほか、比較的軽度の経験技能をもつて処理することができ高度の判断力を必要としない補助的事務のみに従事させることとした。ここに補助的事務とは、文書の発受信、コピーの作成、事務用品の配布、使い走り、来客の取りつぎ、清掃、お茶汲み、その他男子職員の指示による計算、文書の浄書整理、電話連絡等の事務を指称し、業務計画立案、調査、研究報告、物品保管受払等の事務を含まない。そして、後者は男子職員のみが取扱うものとした。よつて、被告は、それ以後職員に関して採用資格につき、男子は大学又は高校卒、女子は原則として高校卒に限り、採用手続につき、男子は本社採用、女子は事業場において欠員の生じた都度採用とし、採用後の身分につき、男子は当初最下級の雇員であるが以後逐次昇進して幹部従業員となり得、他の事業場へ配置転換され得る。女子は結婚までの腰かけ的勤務であるから雇員以上に昇進せず、他の事業場へ配置転換されないと定めるなど、男子職員と女子職員との差異を明確にした。特に、被告は右時点以降、女子職員の採用に当り、「結婚又は満三五才に達したときは退職する」ことを労働契約の内容とする旨定めて、その旨の念書をこれらの者から提出させ、もつて被告はこれらの者が結婚したとき解雇し得ることとした。(以下、結婚を理由に女子労働者を解雇するこの制度を「結婚退職制」という。)

2 被告が結婚退職制を採用した理由を次に述べる。

わが国においては、一般に賃金は男女の別によりかなりの格差があり、とくに高年層において顕著であるが、被告は男女同一賃金の原則に徹し、高校卒の職員については、初任給、爾後の昇給とも、成績査定により生ずる差を除けば、年令を問わず男女同一の賃金を支給してきた。その根拠は次のとおりである。被告において大多数の女子職員は、前述の補助的事務に限り従事せしめられるが、男子職員は前述のように女子職員に比し責任の重いかつ企業に対する貢献度の高い事務に従事せしめられるのであるから、むしろ男子職員の賃金を女子職員のそれより高くすることが合理的である。しかし、結婚前の女子は、既婚女子に比して家事等に煩わされず、したがつて、被告の業務に寄与する程度が比較的高いので、被告はこの点を考慮して、労働に対する対価のほか結婚準備金の意味も含めて、女子職員の賃金を男子職員のそれと同額と定めていたわけである。

ところで、これらの女子職員は、補助的事務に従事する場合であつても、細かい注意力、根気、正確性を必要とするのに、結婚後において、託児施設その他結婚後も勤務を継続する諸条件が整つていないため、家庭本位となり、欠勤がふえ、前示の適格性を欠き、その他労働能率が低下するのである。それにも拘らず前記賃金制度のため、これら長期勤続の女子職員は、これよりも責任ある地位に就いている男子職員(ことに大学卒業者)に比しより高額の賃金を給せられるという不合理が生ずるに至つた。そこで、被告の男子職員らの多数から、この不合理の是正を求める要望が強まつていた。

この要望に対処して、なお男女職員の実質的平等を実現するには、女子職員の賃金体系を男子のそれと均衡のとれるように低下させ、女子が他社なみの低賃金で永く勤められるようにするか、女子職員の賃金体系をそのままにして雇入条件につき男子のそれと別異の定めをなし、女子を高賃金で結婚までの短期間に限り特定の職種につき雇うかの二方法が考えられる。被告は、女子職員を比較的労働能率の高い結婚前のみ雇傭して企業経営の効率的運用に寄与させる方針の下に、原則として後者の方法を選ぶこととした。

これは女子職員にとつてもその間他社に比し高い賃金を得ることとなり有利である。

このほか、組合が昭和三五年において男女別の年令別最低基本給及び昭和三八年において男女別の中途採用者(学校卒業時たる大学卒二二才、高校卒一八才等を過ぎてから採用されたものをいう。)の初任給に関し、女子の基本給及び初任給を男子のそれの約七〇%にするよう提案し、被告もこれを承諾したのは、男子職員の右要望に副つたものである。

3 以上のように、被告が企業の合理性の維持増進という業務上の必要に基き、女子職員につき特定の職種を定め男子職員と異なつた特別の結婚退職制なる条項を付してこれを採用することは、使用者として正当な措置である。

(二)  結婚退職制と労働協約ないし就業規則との関係

1 被告の就業規則には結婚退職制を明示していない。しかし、就業規則は本来使用者がその経営権に基いてこれを制定改廃することができるものである。したがつて、被告において一定の制度(結婚退職制)を設けて一般的に実施し、従業員もこれを知るに至つたとき、すなわち、この制度が従業員の規範意識に支えられて慣行として行なわれるに至つたとき、この制度は、就業規則と同等あるいは慣習法としての効力をもち、さらに組合がこれを承認するに至つたときは労働協約と同等の効力をもつと解せられる。

2 (慣行)わが国の多くの企業(全企業の八%)においては、労働協約、就業規則もしくは慣行により女子労働者が結婚により退職する趣旨の定めが存在する。

被告においても、結婚退職制は、制定以来円滑に運営されている。すなわち、この制度により退職した者は昭和四一年八月までに八八名に及んでおり、原告を除いて念書に拘らず退職しない者はない。

原告主張のとおり女子職員から念書破棄通告のあつた事実も右慣行の存在を否定しない。すなわち、右通告は、女子職員の自発的行動ではなく、少くともその一部は組合の威迫によつてはじめて行なわれたものであつて当該女子職員の真意ではない。しかも、右通告の行なわれた昭和三八年一〇月以降においても六五名の女子職員が右制度に基き任意退職しており、組合も次に述べるように結婚退職制を前提とする行動をしている。これらの事実からみれば、結婚退職制は、労働者の規範意識に支えられて既に慣行となり就業規則と同等の効力を有し、従前の明文の就業規則をその限度で改廃したというべきである。

3 (組合の態度)組合は、(1) 被告が結婚退職制を設けた当初から右制度の存在を知つており、(2) その制定直後、結婚祝金に関する規定につき、女子に限り結婚を予定して退職する場合にも同祝金を支給するようその改訂を申入れ、(3) 組合本部(従前栃木市所在)の東京移転に伴い退職することとなつた組合専従書記(女子)二名を被告が昭和三八年末および昭和三九年初頃結婚退職制を採用条件として栃木工場職員に雇入れた際、右条件を承認しており、(4) さらに、組合役員が主体となつて運営している生活協同組合も女子職員を同様の条件で採用している。これら組合の態度は、結婚退職制に対する黙示の承認というべきである。これにより、この制度は、労働協約と同等の効力を有するに至つた。

(三)  結婚退職制は公序良俗に反しない。

1 結婚退職制は、結婚時までの就職を希望する女子に対し、とくに賃金面において有利な労働の機会を提供するものでこそあれ、結婚を禁止したり、その自由を侵したりするものではない。

およそ、我国では、使用者、労働者とも特定の相手方との雇傭関係を強制される法的根拠はない。そのうえ、近時若年労働者の職業選択の自由は、逼迫した労働力の需給関係に鑑み、実質上も保障されている。したがつて、雇傭契約の締結に当り結婚退職制の条件を付することは、私的自治の範囲に属する。労基法一九条、六五条、六六条は現に雇傭中の女子労働者の保護規定に過ぎず、右のような契約を禁ずるものではない。かかる契約は、雇傭関係継続中の労働者に結婚退職制を制定実施した場合と本質的に異なり、労働者の利益を害しない。

2 被告は、結婚退職制の採用後、この点に留意をして、就職希望者に対し、右制度の趣旨を十分に了解させた上、これを承諾した者に限り女子職員として採用している。

ことに、原告は、日鉄鉱業株式会社八茎鉱業所に勤務中、被告四倉工場の女子職員募集に応じ、口述試験の際被告から結婚退職制を明示されたが、「被告での賃金がよいので転職したい。結婚まで働きたい。」等と述べてこれを承諾した。すなわち、原告は、右制度を十分了承し、熟慮の上去就を決定できる立場にあつた。そして、臨時雇傭の間後記のとおり念書を提出したので職員として本採用となつたものである。

したがって、結婚退職制は、原告援用の各法条に違反しないから、公序良俗に反しない。

(四)  結婚退職の合意等

原告は、本採用直前の昭和三五年八月一〇日被告に対し「結婚したときは自発的に退職する。」旨の念書を差入れて、そのような合意のもとに本採用され、その後、昭和三八年一二月一九日結婚したにも拘らず、右念書に従つた退職の申出をしなかつた。

(五)  被告の原告に対する解雇の意思表示は、結局次の理由に基く。

1 労働協約又は就業規則と同等の効力をもつ結婚退職制に従えば、被告は原告の結婚を理由としてこれを解雇できるので、これにより解雇した。

2 仮に、1の主張が認められないとしても、結婚退職制は、被告が前記のとおり業務上の必要に基いて設けたものであるから、この制度の実効をおさめるための解雇は、就業規則の解雇事由「業務上の都合によるとき」(六〇条四号)に該当する。

よつて、いずれにしても、本件解雇は正当有効である。

第四、証拠(省略)

理由

一、雇傭関係及び結婚退職制

原告主張一及び三の事実は当事者間に争がない。

成立に争のない乙第二号証(念書の様式)及び<証拠>によれば、被告が昭和三三年四月会社の方針として爾後の女子職員の採用処遇につき被告主張の結婚退職制を定め、これに基き女子労働者を採用したことが認められ、この認定を左右すべき確証はない。原告が、本採用される前である昭和三五年八月一〇日「結婚したときは退職する。」旨の念書を差入れたことは当事者間に争がない。これによれば、被告は原告が結婚したときこれを解雇し得る旨の労働契約が成立したというべきである。右は労働者の退職に関する事項であるから、労基法にいう労働条件に該当する。

二、結婚退職制と公序との関係

被告の主張によれば、結婚退職制は、慣行であつて、組合の承認により労働協約と同等の効力を有し、しからずとするも、労働者の規範意識に支持されて就業規則と同等の効力を有するから、被告はこれに基き原告と右契約をなしたというにある。

(一)  結婚退職制の法的内容

このような労働協約又は就業規則と同等の効力を有する規範準則が存在するとしても、その内容は性別による差別待遇と結婚の自由に対する制限とを含むものである。

1  (性別による差別待遇)結婚退職制によると、結婚は男子労働者の解雇事由でなく、女子労働者のみの解雇事由であるから、右は労働条件につき性別による差別待遇をしたことに帰着する。

2  (結婚の自由の制限)結婚退職制によれば、女子労働者は雇傭関係継続中結婚しない旨を約したことに帰着するのであり、換言すれば、結婚に際しなお雇傭関係の継続を望んでいる女子労働者に対しても使用者からその終了を求め得るのである。右は女子労働者の結婚の自由を制限するものというべきである。その理由は次のとおりである。

結婚後も主婦として活動するだけではなく、なお賃金労働者として職場にとどまり労働を継続する意思を有する女子労働者が多く存することは顕著な事実である。統計をみると、成立に争のない乙第七号証の二(労働省婦人少年局発行「婦人労働の実情・一九六二年」三八、三九頁)によれば、女子労働者の中に占める有夫者の割合は逐年上昇し昭和三七年において二一・七%を占め、なお昭和三六年一月から昭和三七年九月までの単純平均によれば非農林業就業者中雇傭者であつて配偶者のある女子は二一九万人に及ぶことが明らかである。かように多数の既婚女子労働者がなおその労働を継続する主たる理由が、自己の才能を生かし社会人としての経験を積み社会に貢献するにあると、生活費を得るにあるとを問わず、その労働を継続しようとする意思は尊重されるべきである。

我国の現状にあつては、男子労働者の労働賃金のみによつてその妻子等の通常の生活の資をまかなえないことが屡々あるから、この場合この男子労働者と結婚した女子労働者はなお労働を継続する経済的必要がある。女子労働者はこの場合結婚退職制により解雇されても直ちに生活の資を求めて再就職せざるを得ない。ところが、前示乙第七号証の二(五八頁から六三頁まで)によると、既婚、したがつて学校新卒者に比し高年である女子労働者の就職の機会は狭められる一方、賃金額の決定についても、当該企業における勤続期間が重要な要素をなす年功賃金制の下では、仮に再就職の機会が得られたとしても、その労働条件は従前に比し著しく低下することが明らかである。したがつて、女子労働者は結婚に際しこの事実を予想すべきものといわなければならない。以上のような次第で女子労働者は結婚退職制の下では、結婚によりその意に反して労働賃金収入を全部失うか又は運がよくてもその相当部分を失うものである。かくして、結婚を退職事由と定めることは、女子労働者に対し結婚するか、又は自己の才能を生かしつつ社会に貢献し生活の資を確保するために従前の職に止まるかの選択を迫る結果に帰着し、かかる精神的、経済的理由により配偶者の選択、結婚の時期等につき結婚の自由を著しく制約するものと断ずべきである。

近年若年労働力の需給関係が変化し全国的にみて求人数が求職数を大幅に上廻り、中学、高校新卒の女子もその例に洩れないことは顕著な事実である。しかし、この事実から推してかかる女子は結婚退職制を採用する企業とそうでない企業とを選択する自由があるとして前示結論を左右することはできない。すなわち、若年女子の労働力の需給関係は、地域及び企業により差があり、求職者はその意思に関係なく適性その他の精神的肉体的諸条件、住宅。家庭事情等により、求職の範囲を自ら制限されるのである。また、成立に争のない乙第六号証の二(労働省婦人少年局発行「女子事務職員実態調査報告。一九六一年五月」二六頁)によれば、女子の結婚退職規定を有する事業所は総数の八%(内訳。製造業は七・三%、金融保険業は二〇・二%)に及ぶことが明らかである。かような要因を考えるとき、女子求職者が前示のような選択の自由を有するとは到底いえない。また使用者が女子労働者の雇入に際し結婚退職制を明示した場合もこの結論を左右しない。

(二)  公の秩序

1  (性別による差別待遇の禁止)両性の本質的平等を実現すべく、国家と国民との関係のみならず、国民相互の関係においても性別を理由とする合理性なき差別待遇を禁止することは、法の根本原理である。憲法一四条は国家と国民との関係において、民法一条の二は国民相互の関係においてこれを直接明示する。労基法三条は国籍、信条又は社会的身分を理由とする。差別を禁止し、同法四条は性別を理由とする賃金の差別を禁止する。ところで、労基法上性別を理由として賃金以外の労働条件の差別を禁止する規定はなく、却つて、同法一九条、六一条ないし六八条等は女子の保護のため男子と異なる労働条件を定めている。したがつて、労基法は性別を理由とする労働条件の合理的差別を許容する一方、前示の根本原理に鑑み、性別を理由とする合理性を欠く差別を禁止するものと解せられる。以上述べたことから明らかなとおり、この禁止は労働法の公の秩序を構成し、労働条件に関する性別を理由とする合理性を欠く差別待遇を定める労働協約、就業規則、労働契約は、いずれも民法九〇条に違反しその効力を生じないというべきである。

2  (結婚の自由の保障)家庭は、国家社会の重要な一単位であり、法秩序の重要な一部である。適時に適当な配遇者を選択し家庭を建設し、正義衡平に従つた労働条件のもとに労働しつつ人たるに値する家族生活を維持発展させることは人間の幸福の一つである。かような法秩序の形成並びに幸福追求を妨げる政治的経済的社会的要因のうち合理性を欠くものを除去することも、また法の根本原理であつて、憲法一三条、二四条、二五条、二七条はこれを示す。したがつて、配偶者の選択に関する自由、結婚の時期に関する自由等結婚の自由は重要な法秩序の形成に関連しかつ基本的人権の一つとして尊重されるべく、これを合理的理由なく制限することは、国民相互の法律関係にあつても、法律上禁止されるものと解すべきである。以上の理由により、この禁止は公の秩序を構成し、これに反する労働協約、就業規則、労働契約はいずれも民法九〇条に違反し効力を生じないというべきである。

(三)  合理的理由による差別又は制限

1  (非能率)被告主張のように、男子職員と女子職員との職種を截然区別し女子職員を被告主張のような補助的事務のみに従事させることが合理的差別といえるか否かはしばらくおく。本件において被告の主張の前提として、既婚女子労働の非能率の責を一般的に女子のみに帰せしめるには、女子は結婚後労働能率が結婚前に比し一般に低下すること、その低下の程度は同一の条件の下における男子よりも甚しいこと、その原因は少くとも使用者側及び国家社会の側に存せず、専ら女子労働者の結婚という事実のみに存することを立証すべきである。この認定に当り、労基法四条の立法趣旨により、女子労働者は一般的平均的に低能率であるとの社会的偏見の排除が要請されること、同法六五条、六六条により既婚女子労働者は出産育児に関し休業請求権を有し、その限度での労務の不提供すなわち、使用者側からみれば非能率が許されていることは充分に尊重されなければならない。しかるとき、本件にあつては、<証拠>によるも右各事実を肯認するに足らず、その他この事実を認めるに足る証拠がない。しかも、前示の補助的事務の内容に徴すると、これに従事する女子労働者が結婚したからとて労働能率が当然に低下するとは推認できない。

もし、既婚女子労働者の一部に労働能率の低下した者が生ずれば、監督者その他被告側において遅滞なくこれを発見確認できるものと推認される。この場合、被告は能率低下の原因を探究し、その責が被告に存せず、もつぱら当該女子労働者に存するときは、かかる者に対して労働協約又は、就業規則等に定める所要の処置を個別的にとれば足りるものと解される。

したがつて、既婚女子労働者の非能率を理由に、勤務成績の優劣を問わず一律にこれを企業から排除することは合理性がない。

2  (賃金)結婚退職制の根拠として被告の主張する事実、すなわち被告において男女同一賃金制に徹しているので、補助的事務に従事する長期勤続の既婚、高年の女子職員に対し、より責任の重い事務に従事する男子職員と比較して不相当に高額の賃金を支払つているとの事実につき判断する。結婚退職制採用後である昭和三五年以降被告主張の年令別最低基本給及び中途採用者初任給につき約三割の男女の賃金格差が設けられたことは被告の自陳するところである。右の格差が勤務時間又は労務内容等の差に基く合理的なものであることの立証はない。したがつて、この点についての被告の主張は事実関係について前提を欠くものというべきである。しかも、仮に、被告主張のように長期勤続既婚女子職員がより責任の重い男子職員に比し高額の賃金を得、しかもこれにつき男子職員からその是正を求められるとの事態が存するとしても、右は主として勤続年数により機械的な昇給を伴う年功賃金制のもたらした結果であるから、むしろその是止のためには、男女を問わず各職員の職務ないし労働の価値に応じた合理的な賃金体系を制定することが適当であるといわなければならない。労基法三条の趣旨は、女子労働者が一般的平均的に低能率であること等過去の社会的偏見によつて不利益待遇をすることを禁止するけれども、性別によらず、職務、技能、能率等の差に応じた賃金格差を否定するものではない。かかる措置をとらないで、年功賃金制の有する若干の短所を理由として女子労働者を結婚と同時に一律に企業から排除し、もつて前示差別待遇を行ない、結婚の自由を制限することは、なんら合理性がない。

3  (その他の合理性)前示補助的事務の内容自体に徴しても、特定宗教における聖職者、巫女等と異なり、これに従事する者を独身者に限定しなければならない理由はない。その他結婚退職制に合理性を認めるに足りる資料はない。

(四)  結婚退職制は公の秩序に反する。

以上述べたとおり、女子労働者のみにつき結婚を退職事由とすることは、性別を理由とする差別をなし、かつ、結婚の自由を制限するものであつて、しかもその合理的根拠を見出し得ないから、労働協約、就業規則、労働契約中かかる部分は、公の秩序に違反しその効力を否定されるべきものといわなければならない。

結婚退職制につき、組合がこれを承認し多数の女子労働者がこれに賛同して退職し、原告もまたこれを熟知して雇傭されたとの被告の主張はそれ自体理由がない。けだし、民法九〇条は公の秩序等に反する一切の法律行為の効力を否定するものであつて、関係当事者がこれに同意したか否かを問わないからである。(法例二条参照)。

三、解雇の意思表示の効力

原告に対する本件解雇の意思表示が結婚退職制を根拠とし、あるいはその実効をおさめるための措置であることは被告の自認するところであるから、たとえ、それが就業規則にいう業務上の都合に該当するものであつても、右制度が公の秩序に反する以上、本件解雇の意思表示は無効といわなければならない。

四、結論

よつて、原告はなお被告に対し雇傭契約上の権利を有するところ、被告これはを争うものである。そして、被告における賃金支払の方法及び原告の賃金月額は原告主張二のとおりであることは当事者間に争がない。

したがつて、雇傭契約上の地位の確認及び昭和三九年三月二一日以降の賃金として主文第2項記載の金員の支払を求める原告の請求はすべて理由があるから、これを認容すべきである。訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。(沖野威 高山晨 田中康久)

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